神の湯温泉の歴史

一九七二年 四月 宝生山八津御獄神社の権現職 山本昌徳さん(故人)が月並祭りを執行中 幾度となく霊感を受け、教えをお聞きになると「この地に日本に二つと無い特殊な温泉が湧く」との教えを賜って、教えに従ってすぐに採掘を始めました。

しかし、学識者や業者などは、
「この場所に温泉が湧くはずが無い」と口々にし、採掘を進めていってもなかなか温泉は湧いてこなくて、何度となく諦めかけたこともありました。

ところが、諦めずに採掘をし続けていくと 同年 九月 大量の温泉がものすごい音とともに湧きあがったのです。

近隣の村人たちも、その湧出には驚きました。

湧き出した温泉を調べていただくと、産前・産後、長い便秘、切痔、打ち身、冷え性、リウマチ、胃腸、下痢、糖尿病、慢性消化器疾患、尿路疾患、痛風などによいと言われ、先代が広く多くの人にこの上質な温泉に浸って健康やリフレッシュしていただきたいとホテル神の湯を創業いたしました。

だんだんと、泉質のよさが口伝えに広まって日本各地からこの湯を楽しみに湯治や観光で訪れるようになり、今日に到っております。

なぜ神の湯温泉の湯はこんなにも人気なのか?

神の湯温泉の湯は、とても上質な源泉で多くのお客様から喜ばれております。
なぜ、神の湯温泉の湯はこんなにも上質なのでしょうか・・・

それは、甲府盆地が上質な温泉が涵養された特別な地形だったからです。 神の湯のある山梨県甲府盆地は、太平洋プレート、フィリピン海プレート、北アメリカプレート、ユーラシアプレートの4つのプレートがひしめき合う特殊な地層で、2,000万年〜1,000万年前にフォッサマグナ(大地裂帯)として海水が浸入し、海底火山が激しく活動しその後の地形変化で、甲府盆地の層状堆積物の中に非火山性温泉が涵養され、さらに岩盤中には裂罅系温泉が涵養された、とても温泉に恵まれた地形だからなのです。

特に神の湯温泉の湯は、飲泉もできるほどの上質な温泉で泉質はアルカリ性ナトリウム塩化物泉。

湯量も豊富で、貸切露天風呂・露天風呂・大浴場はすべて源泉掛け流しです。

※涵養とは、水が自然に染み込むよう、ゆっくりと養い育てる様のことです。

 

昭和15年 甲府市 丸の内にて 丸久金物店として創業
昭和22年 丸久鋼材有限会社として法人化
昭和30年代 親交のあった 宝生山八津御獄神社の権現 故 山本昌徳 氏 を甲府に呼びよせる。
後々の神の湯温泉の歩みに多くの助言やご尽力をいただく。 
昭和45年頃 社員の静養と、多くの人が癒し休める場所を求めて権現 山本昌徳 氏と相談をしながら、土地を選び購入を始める。
当時は、桑畑と野原ばかりだった現在の土地を所有者と交渉して少しずつ買い集める 。
昭和47年4月 土地の購入が進む中、月並祭りを執行中に権現 山本昌徳 氏が幾度となく霊感を受け「この地に日本に二つと無い特殊な温泉が湧く」との教えを賜って、教えに従ってすぐに採掘を初めようとしたら学識者や業者などは「粘土質の地盤のこの場所に温泉が湧くはずが無い」と口々にしました。

しかし、温泉を掘りたい想いと教えを信じて採掘の申請をしてみると、当時はなかなか認可されない採掘の許可が「どうせ温泉が出ないだろう}とみなされてか、すぐに認可をいただけのを期に採掘を初めました。

昭和47年9月

採掘当初、この地には温泉が出ないと言われた通りなかなか温泉が出ずに諦めかけながらも600メートルまで掘り進めたところ勢いよく大量の温泉が湧き出し、みんなが驚きました。

沸き出した湯は、日ごろの疲れや産前・産後などに良いと言われる食塩泉で湯量も多かったので、多くの人に湯に浸って癒されて欲しいと思い、鉄鋼業の傍らながら大浴場と12室の客室の湯宿を作りました。

権現 山本昌徳 氏のお告げで沸き上がった湯なので「神の湯温泉」と称され、近隣の住民のクチコミで評判が広がり山梨県各地から多くにお客様が訪れるようになりました。


写真は創業当時のパンフレットと開湯して最初にできたお風呂の様子

昭和55年 お客様のご要望で、屋外プールを設け焼きソバや軽食の屋台を設けてお子様が楽しんだり、興業の演劇を楽しみなら昼食を楽しめるようになどサービスを充実して話題となり、隣県などからもお客様が訪れるようになりました。

また、裏庭に桜の植栽をはじめ富士山と桜を見ながら温泉に浸れる宿創りを目指しました。


当時珍しい露天風呂とプールを楽しみに遠方かもお客様が訪れました

昭和62年 ”お客様により充実したサービスを提供したい" と思い、鋼材業を廃業し、建物の全面リニューアルを始めました。

リニューアル工事中には、提供サービスの修行に社長自ら河口湖にある旅館へ、専務は伊豆の旅館へ修行に出向き宿泊業とサービス業を根本から学んできました。

平成元年

7月10日

リニューアルオープン。
男女別に7つのお風呂を設け、人気のバイブラバス(泡風呂)や打たせ湯、温めの湯などいろいろな温泉をお楽しみいただき、富士山の眺望を楽しいながら快適にご宿泊いただけるようになりました。
お料理コースも一新し、地産料理と旬味をより味わっていただけるようなお献立を創りだしました。

リニューアル直後のパンフレト 当時は住宅も少なく富士山がよく見えました
平成17年 より温泉を楽しんでいただけるように、露天風呂 輝きの湯 を増設。
建物の中で、眺めもよく夜景もお楽しみいただける場所を選び、ご宿泊者様に無料でご利用いただけるようにいたしました。
平成18年

引湯管メンテナンスとより良い温泉を求めて約800メートルの温泉を採掘。
天然温泉は、生き物ですのでメンテナンスが大切で定期的にお手入れをしていたのですが、より良い温泉を求めて採掘をして、約800メートルまで掘り進めた処でよい温泉が湧き出しました。

湯量もより増えたため、趣の異なる貸切風呂を3つ増設。
珍しい玉子形の蒸し風呂、関東で2番目に大きな高野槙の樽風呂、ロマンチックな洞窟風呂が話題となりました。

※ 写真は、当時のパンフレットから抜粋した写真です。

桜とお庭の物語り

ある日、神の湯温泉 創業者 橘田久春がお客様とロビーでお話をしていた時に

  「こんなにも富士山がきれいに見られて、さらに桜もあったら素敵ですね。」

の言葉に心動かされ昭和55年の秋に裏庭に桜の植栽をはじめました。

植え付けのために土壌作りをはじめ、植木屋に甲府の気候や風土に適した桜の苗木を相談して選んで植え、肥料や水まきなど丹精込めて我が子のようにかわいがり手入れをして育てました。

ところが、土壌が良くなかったのか一度は全ての木が枯れてしまたったのですが、植木屋や専門家に指導を受けながら植栽をして、だんだんに桜の木を増やしながら大切に育みました。

桜は耐寒性や耐暑性に強いと言われているように、だんだんと根付いて育ち大きな木に育ってきましたが「桜切る馬鹿」と言うことわざを信じ、自然なままに育てて今では毎年見事に咲くまでに育ちました。

また、お庭には宿を訪れたお二人の幾久しい幸せと子孫繁栄の願いを込めて「朱の夫婦橋」や天然石の「夫婦岩」などを配したり、縁起の良い鶴亀などを飾りお客様の幸福を祈りました。

今でも、その想いを守り大切に桜の木を育てお庭の手入れをしております。